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2026.01.12
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日産が「日本で“ドイツ車”」造ってた? 座間の“日産工場”で生産された「神奈川県産まれのフォルクスワーゲン車」なぜ誕生したのか 異色のモデル「サンタナ」が販売された複雑な事情とは

昔も今も、変わったクルマが売られるきっかけは「貿易摩擦」!?

 トヨタは2026年より、米国生産のトヨタ車3モデルの国内導入を検討したと正式に発表しました。そのきっかけは日米の「貿易摩擦」にあります。

【画像】「え?本当…!?」これが“神奈川県生まれ”の「ドイツ車」です! 画像で見る(30枚以上)

 同じようなことはかつてもありました。しかも海外メーカーのクルマを日本で生産するという、今とは異なる手法がとられたのです。

「え?本当…!?」日産がつくっていた「ガイシャ」とは
「え?本当…!?」日産がつくっていた「ガイシャ」とは

「ノックダウン生産」という言葉をご存知でしょうか。簡単に言えば、海外の拠点などにパーツのみ輸出し、現地で組み立ておよび販売することを指します。

 ノックダウン生産の理由はいくつかあります。

 部品を輸入して組み立てれば「完成車」ではないということから、クルマ輸入の関税が高い国の関税対策として採用が見られました。

 ほかにも、完成車を運ぶとコストがかかるので、パーツごと輸出して現地で組み立てて輸送費を削減したり、自国の技術が未熟なため海外メーカーと提携してその技術を学ぶためのノックダウン生産も行なわれていました。

 この場合、次第にパーツを国産化して、国産化比率をあげていくことがふつうでした。

 ところがフォルクスワーゲン(VW)「サンタナ」の場合、少々事情が異なりました。

 1970年代後半以降、意欲的な海外進出を図った日産は、1980年12月に西ドイツ(当時)のVW社と業務提携を結びました。

 しかしこの提携は、日本車が海外でシェアを拡大するのに対し、日本では輸入車が売れないことに起因する「貿易摩擦」への対応という側面がありました。

 VWのクルマを日産で生産するにあたり、日産は、自社のラインナップとバッティングしない車種としてサンタナを希望したとされます。

 ちなみにサンタナがどのようなクルマだったかというと、当時はボディ形状が5ドアハッチバックとバリアント(ステーションワゴン)だった、2代目「パサート」のセダン版でした。

 その後西ドイツでは車名をサンタナから「パサート・サルーン」に変更。1988年まで生産されましたが、VWのフラッグシップかつ国際戦略車だったサンタナは、日本以外でも中国、ブラジル、メキシコなどでノックダウン生産の対象になっています。

 中国は2012年、ブラジルは2006年まで内外装に大きな変更を伴いながら生産を継続していたので、中国へ訪れた際に見たという人も少なくないでしょう。

 そして日本仕様の“日産・VWサンタナ”は1984年2月に発表・発売を迎えます。

 日産はサンタナに並々ならぬ期待をかけており、キャッチコピーを「ロマンチック街道から」と定め、「サンタナ通信」という広告雑誌を発行するなど、サンタナがドイツ生まれであることをアピール。発売に合わせ大々的なキャンペーンが行われました。

 サンタナの生産は、コンパクトセダン「サニー」などを作っていた日産・座間工場(現・座間事業所/神奈川県座間市)が担当しました。

 その際、日産で作りかつ日本の路上で使うための変更点は少なく、国内法規に合わせる改良以外は、おおむねドイツ本国の仕様が踏襲されました。

 そのため、操縦性や直進性・乗り心地・シートの座り心地などは、まさにドイツ車そのもの。当時の自動車雑誌から高い評価を受けました。

 ただしドイツでオプションだったエアコンは、全車標準装備とされています。

 国内発売開始時の“日産”サンタナのバリエーションは、VW・アウディ製2リッター直列5気筒「J型」搭載の「2000 Xi5」「2000 Gi5」、VW製1.8リッター直列4気筒「JN型」を積む「1800 Gi」「1800 Li」、そしてVW製1.6リッターディーゼルターボ「CY型」が載る「1600 ターボディーゼルGt」「1600 ターボディーゼルLt」を設定しています。

 トランスミッションは5速マニュアルのほか、ターボディーゼル以外は3速オートマチックを選択可能でした。内外装色も多く、日産の本気がうかがえます。

 エンジンとトランスミッションは、終始本国から輸入されていたものを組み付けていましたが、各部のパーツは国産比率を次第に高め、最終的にはほぼ日本製パーツで生産されたようです。

 ちなみに「R31」「Z31」などの「日産式の型式」もちゃんとサンタナには与えられており、「M30型」を名乗ります。

日独合作で得た成果が「1990年代の名車」を生み出すきっかけに!?

 その後の1985年5月に、小径ステアリングホイール・フロントリップスポイラー・14インチアルミホイール・スポーツシートなどが与えられたスポーティバージョン「2000 Xi5アウトバーン」を追加。

 さらに1987年1月には、各部に手を入れた大きめのマイナーチェンジを受け後期型に発展。フロントデザインの刷新・リアバンパーやサイドモールの変更、そして140psを発生する直5DOHCユニットを搭載した「2000 Xi5アウトバーンDOHC」も登場しています。

 しかしグレードは大幅に整理され、「2000 Xi5アウトバーンDOHC」「2000 Xi5アウトバーン」「2000 Xi5」「1800 Gi」のみとなりました。

日産が1980年代にフォルクスワーゲン車を手掛けたことで、のちの名車開発に大きな影響を与えることになる
日産が1980年代にフォルクスワーゲン車を手掛けたことで、のちの名車開発に大きな影響を与えることになる

 販売価格は、1984年時点で「1800 Li」(5速MT)の199.5万円から「2000 Xi5」(3速AT)の257万円、後期型発売の1987年には「1800 GLi」(5速MT)の213.6万円から「2000 Xi5アウトバーンDOHC」(3速AT)の288.3万円でした。

 参考までに、1984年5月での同じ価格帯の日産車を見ると、「スカイライン」(R30型)「セダン2000ターボGT-EXパサージュ」(5速MT)で199.3万円、「レパード」(F30型)「4ドアハードトップ ターボZGX」(5速MT)が258.9万円、「セドリック/グロリア」(Y30型)「4ドアハードトップ V20ターボ ジャック・ニクラウスバージョン」が328.6万円でしたので、それなりの高額モデルだったのがわかります。

 ただし、サンタナとプラットフォームを共用する同時期のアウディ「80」は、最安値だった4気筒の普及版グレード「CLE」で320万円、5気筒を積む「GL 5E」は380万円だったことから、サンタナはそれなりにリーズナブルな戦略設定だったことも見えてきます。

 販売網は当時の日産サニー店(と一部のプリンス店)でした。サニー店系列には高級車・旗艦モデルがなく、サンタナはその役目も果たしていたほか、ヤナセでも販売されていました。

 このようにさまざまな期待を込めて導入されたサンタナですが、初期型に頻発したトラブルやAT暴走事故が尾を引き、営業マンも積極的に売らなくなってしまいました。

 さらに当時はまだ輸入車は垣根が高い時代。いくら日産の広域ネットワークでメンテに関する心配がなく、相対的に安価と言われても、なかなか手が出せなかったのも事実でしょう。

 前述のように高額車でもあるため、同じ予算で買えるスカイラインや「ローレル」、セドリック/グロリアなどを選んだ人は少なくありませんでした。

 そんな中でもサンタナは1990年まで生産を継続しました。6年間の総販売台数は約5万台と言われていますが、これは日産が当初計画していた年産6万台にも届かない数字。

 結果としてVWとの提携、そしてサンタナは失敗に終わってしまったのです。

※ ※ ※

 なお筆者(遠藤イヅル)は今、1987年式のサンタナ 2000 Xi5アウトバーンDOHCを所有しており、ごくふつうに年間1万キロのペースで仕事をメインに使っています。

 乗っていて感じるのは、「VWの完全コピー」であるという驚きです。

 手に触れるもの、見えるものは完全に当時のVWの品質とデザインなのですが、これらはすべて国産パーツなのです。

 Dレンジに入れた際の振動は1980年代のVWに乗っている人ならわかると思いますが、そんなところまで再現しています。

 そのためオートマシフトノブの根元インジケータは左ハンドル用で見にくく、ウインカーレバーも左側のまま。いっぽうでスピードメーターは日本車らしく180km/h止まり、しかも100km/hを越えると懐かしい「キンコン」とチャイムが鳴りました。

 内装の高品質は目を見張るポイントです。筆者は他にも、1981年に発売を開始した「純」日産車である「サニー」(B11型)を所有していますが、車格の違いを差し引いても、内装の品質は高いとは言えないのが事実です。

 ところがその次の世代となる1985年登場のB12型では、一気に高品質に。サビに弱く緩いと言われていたボディも、格段に進歩を遂げています。

 さらにサンタナの登場を境に日産車のボディ剛性アップと操縦性は向上し、1989年のスカイライン(R32型)、初代「プリメーラ」(P10型)でそれは大きく花開くことになるのです。

 一説では、これら日産車のクオリティアップはサンタナから学んだと言われています。

 現に、日本仕様のサンタナを担当した津田靖久氏は、ドイツや欧州流のクルマ作りを行い、ハンドリングで高い評価を受けたP10プリメーラの主査でした。

 成功作とはならなかったサンタナですが、その経験は日産車へと受け継がれ、大きな財産になったといえるでしょう。

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